第19章~子は親の背中なんか見ない~
みなさんこんばんはZEROです。
久しぶりの更新ですが皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか?
さて、今回は「子は親の背中なんか見ない」ということについてお話したいと思います。
皆さんは「子は親の背中を見て育つ」という言葉を聞いたことはありますか?
どういうことか簡単に説明すると子供は親をお手本として育つため親が他人に暴力をふるえば子も他人に暴力を振るうという感じです。
確かに子供にとって最も身近な大人である親は良い見本になりますね
しかし、本当に子は親を見て育つのでしょうか?
私はどうも疑問に思います。
確かに小学生あたりまでは親を見て育つでしょうが中学にもなれば「自分」というものが出来上がってくるので徐々に親を「半面教師」として見ます。
それと同時に今までより遥かに多くの人と出会うため目標にする人やお手本になる人も変わってきます。
なので私は「子は親を見て育つ」のではなく「子は周りを見て育つ」と思うのです。
「自分と同じようにはなってほしくない」と子供との接し方に対し必要以上にプレッシャーを感じている親御さんがたまに、いらっしゃいますが今のあなたをどう思いどう成長するかは正直子供次第なのでそこに変なプライドやプレッシャーを感じなくても良いと思います。
それでも不安なら子供に沢山本を与えてください、多くの人と関わらせて色々な世界をみせてあげてください。
そうすれば子供は「自分の理想」に一歩ずつ進むと思いますよ。
第18章~この世界は残酷だ…そして、とても美しい~
こんばんはZEROです。
そしてみなさんお久しぶりです笑
卒業に向けての試験やら自車校やらドタバタしていて全く更新できてませんでしたが、皆さんはお変わりなくお過ごしでしょうか?
私事ですが、本日公式Twitterのフォロワーがおかげさまで100人になりました!
本当にありがとうございます!!!
さて、久しぶりの更新ですが今回のタイトル…ご存知の方も多いのではないでしょうか?
そうです。これは人気マンガ「進撃の巨人」に登場するヒロイン「ミカサ・アッカーマン(cv:石川由依)」の名セリフです!!!
これは私自身の見方なのですが進撃の巨人の世界観ってものすごく今の若者、特に思春期の子供が置かれている状況にものすごく似ているなと思うんですよね。
例えば巨人と人間。
作品にでる巨人は3~15mほどの高さがあり人間を捕食するので人間と巨人との間には圧倒的な力の差が存在するのですが、これを現代に置き換えると人間は若者、あるいは思春期の子供とし巨人は親や先生、場合によっては社会を当てはめると私がさっき言った「世界観が似ている」というところに繋がります。
また、作中には人間の街を巨人から守る50mの壁があるのですがこれも「隔離された環境」または「囚われている」という点でも繋がります。
現に人が巨人に食い殺されるように親の手によって子供の命が奪われているわけですから本当に似ているというか同化してるようにすら思います。
私自身、この作品はとても好きなので読んだことない方はぜひ読んでみてください。
特に「現状に不満がある人」「強大な敵に屈しそうな人」にお勧めです。
進撃の巨人をはじめ日本には多くの名作がありますが近年では「アニメを廃止にしよう」など否定的な人もいるようですが日本が世界に誇る文化でありアニメから学ぶことも数多いのも事実ですから私としてはアニメ好きでも嫌いでも結構ですが全面否定だけはしてほしくないですね。
第17章~「未来への希望」を「先のない奴ら」が消すな~
みなさんお久しぶりです!ZEROです。
リアルが大変忙しくブログの更新が滞っており申し訳ありません、今日からボチボチ上げていくので今後ともよろしくお願いします。
さて、今回は今話題になっている「虐待」について語ろうと思います。
虐待と言えば、つい最近ニュースなんかでも女児が父親に暴行され死亡した事件が連日報道されているのは皆さんもご存知だと思います。
この記事では「虐待とはなんなのか、なぜ起きるのか、虐待された子供たちはどうなるのか」に焦点を当てて皆さんと一緒に考えていきましょう!
虐待とは…
そもそも虐待というのは惨い(むごい)扱いをすること。繰り返し、あるいは習慣的に暴力をふるったり冷酷・冷淡な接し方をすることを指します。
また虐待にはいくつかの種類があり下記にまとめたのでご覧ください。
- 育児不安(子育てが上手くいかない不安によるストレス)
- 親自身の虐待経験(精神的トラウマ)
- 病気・障害(病気等による養育力の低下)
- 精神的に不安な状態(産後うつやアルコール依存)
子供の要因
- 育てにくい子供(怒りやすい、こだわりが強い、言うことを聞かない)
- 病気、障害(先天異常の疾患、発達の遅れ)
家族を取り巻く要因
- 核家族化によるもの(育児に関して相談できる人がいない)
- 不安定な夫婦関係(夫婦喧嘩が絶えない、ドメスティックバイオレンス)
- 経済的不安(不景気による収入低下、失業)
- 地域からの孤立(近所との付き合いがない)
私自身こんなに要因があるとは知りませんでしたが、これらの要因を把握したうえで虐待事件を見返せば非常に納得できる点が多いです。
これらの要因によって起こる虐待を受けた子供たちの未来はどうなるのか考えていきましょう。
虐待された子供たちはどうなるのか
最後に虐待を受けてきた子供たちはどうなるのかというのをまとめたので下記をご覧ください。
身体的発育への影響
充分な食事や栄養が与えられないことによって発育不良になるのは勿論、養育者による愛情が注がれなかったことによる心理的影響が発育面に影響を及ぼす可能性がある。
知的発達の影響
頭部の強打や強く揺さぶるなど身体的虐待をすることにより、脳や神経系に障害が加えられた結果、知的障害になるケースが非常に多いそうです。
また、「虐待を受け続ける」ことにより心理的影響や、発達に不可欠な幼少期の好奇心を満たす「遊び」を暴力的に抑制されることが知的な発達の遅れに繋がることもあります。
心理的な影響
- 心に傷(トラウマ)が生じることで起きる問題(フラッシュバックや記憶障害)
- 劣等感や無気力を強く持ってしまう。
- 対人関係に支障(友達が作れない、コミュニケーションが苦手)
- 周囲に強い攻撃性を持つ
- 思春期以降の問題行動(未成年飲酒や喫煙、夜間徘徊、家出、窃盗etc…)
結論をいうと何1つ良いことはないことは分かると思います。
では、どうしたらいいのか?
というところですが、この記事では虐待の要因とその結果を示してきたわけで読者のみなさんにとってもいい経験になったと思います。
今まで普通にやってきたことが実は虐待だったなんてこともあるでしょう、または、あの子がこうなったのはアレが理由か!など色々振り返ったと思います。
私の方からこれしなさい、あれしなさいなんて言うつもりはないです。
今回の記事の結びは、みなさんがこの記事を読んで何を思い、何を悔やみ、何をしなければならないのかを「実行」することにあります。
問題提起もした、種類も知った、原因も知った、結末も知った…あとはこれらを逆算し皆さんが出した答えで進んでみてください。
それでも上手くいかない時は下のQRから公式LINEに来ていただければ、また一緒に考えましょう。大丈夫です、一人ではありません。
いつでもお待ちしております。
ぜひ、また次の章でお会いしましょう。
第16章~校則の必要性~
みなさん、こんばんはZEROです。
みなさんは「校則」ってなんのためにあると思いますか?
「学校の規律を守る」という人もいれば、「掟は破るためにある」なんて銀髪天然パーマの木刀持った万事屋が出てくる某ジャンプ漫画のようなやんちゃな人もいるでしょう笑
どちらも個人の価値観なのでどう思うかは自由ですが、ここでいう「校則」の定義として「社会の常識として人に迷惑をかけない躾」ということにしておきましょう。
話は最初に戻して「校則は必要なのか」という問いに対しほとんどの人はYESと答えるでしょう。
では、今の学校の校則は「全て」必要か?という問いに対し皆さんは自信をもってYESと答えれますか?
私は「ん~」ってなりますね、なんでかっていうと校則の中に「必要性を感じない校則」が最近多いように感じますし、もはや何のための校則なのかさえ考えます。
例を挙げましょう、これはこの間実際に合った話なのですが私の隣にいる生徒…仮にAくんとしましょう。
彼は眼鏡をかけていますが新しく眼鏡を買っていました。
配色が白と黒というシンプルなものでしたが黒の中に白が入ってるのが「華美である」
ということで学校側から注意が入ったのです。
他にもこんなのがあります。
とある学校の職員会議では2時間あるうちの1時間は「ヘアゴムの茶色は華美か」「どこまでが華美か」「シャツは白かワンポイントか」なんて話で終わったそうです。
思わず
どうでも良くね!?
と、つい突っ込みたくなりませんか?苦笑
結構、注意して見ると社会人はOKなのにどうしてダメなのか、誰にも迷惑かけてないのになんで禁止なんだと思うような校則何個かあると思います。
学校の先生には申し訳ないが全国の生徒に声を大にして言いたい「先生=正しい」「学校=社会」なんてくだらない固定観念は今すぐ捨てましょう。
学校の先生のほとんどは小中高と進み大学まで行ったのにろくに社会に出ずに「先生」という肩書の下、知りもしない社会をあたかも自分の経験談のように語っているにすぎません。
この章で言いたいのは「真実を疑え」という事に尽きます。
一人の人間の背中見るよりもっと広い目で世界を見てこれからの人生を歩んでほしいです。
きっとその方が案外楽なのかもしれませんね
では次の章でお会いしましょう。
第15章~宿題なんか、やめちまえ~
皆さんこんにちは!ZEROです。
今回は「宿題」について取り上げようと思います。
宿題…これは学生なら苦い思い出があるがある人も多いのではないでしょうか?
少なくとも「宿題大好き」なんていう人はいないでしょう。
幸いなことに私の通う学校には宿題というのは長期休みの時しか出ませんが、小学校や中学校の時は毎日出てイヤでイヤで仕方ありませんでした笑
こどもを苦しめる最大の壁 宿題
今回の記事は昨年の秋に行われた地元の大学教授主催の教育を題材にした集まりで私が実際に講演した資料を元に取り上げていきますが、最近ではこの宿題も一つの教育問題となっていることに皆さんはご存知だろうか?
宿題の内容や提出率など様々ある中で特に問題視されているのは
「子供の宿題が多すぎる!!!」
そうなんです最も問題視されてるのは「量」なんです。
では、どれくらい多いのか私の経験をもとにまとめていきます。
小学校
- 学習プリント(裏表)×2枚
- 一人勉強(自主学習)ノート2ページ
- 詩や教科書の音読
- 読書
中学校
- 学習プリント(裏表)×2枚
- 一人勉強(自主学習)×2ページ
- 日記
- 各教科からの宿題
※夏休みや冬休みなど長期休みには工作や自由研究、読書感想文などが追加されます。
いかがですか?
多いと思う方や大したことないなど意見は様々ですがこの宿題をこなす子供たちは7歳や8歳、遊びたい気持ちを抑え、夜遅くまで部活動や生徒会に追われ疲れ切った子供たちが毎日取り組んでいるのです。
そんな過酷ともいえる状態で宿題をするのは「当たり前」と何1つ手伝わない親に言われ褒められもせず、最後まで取り組めないまま学校に行けば宿題というペナルティーを押し付けてきた張本人の学校教師に叱られ評価を下げられる。
そんな状態で子供たちの学力が上がるとでも本気で思っているのかと私は思います。
宿題=課題
では最後に私がこの記事でどうしても伝えたいことがあります。
それは何かというと、「宿題を一瞬で終わらせる方法」です。
その方法は2つあります。ズバリ言いましょう
- 答えを写せ!!
- 分からないのは誰でもいいから聞くか人のを写せ!!
この2つです。
はぁ!?と思う人も多いでしょう、それは無理もありません。
なぜなら、これらは先生や親によって使うなと正に邪道としてある方法だからです。
しかし、今すぐ冷静に考えてみてください…宿題というのは「課題」という言い方もありますよね?
課題というのは「与えられた題」あるいは「試練」という風な意味です。
つまり乗り越えないといけない壁でもあるのです。
しかし人間は弱く単体では何もできませんがそこに知識や道具など「手段」を用いることにより課題を克服してきました。
何が言いたいか、まずこの宿題は乗り超えなくてはいけない壁だとします。
乗り越えるのだから当然自分より高い…
仮に目の前にある3mの壁を乗り越えることが宿題だとしましょう、到底無理ですよね?
しかし、ここにロープや脚立などの道具があればなんとかクリアできますよね!
つまり私がさっき言った「答えを見る」「人に聞く」というのは脚立やロープに例えれるということです。
しかし親や教師は「楽をせず自力で根性で乗り越えろ」といいますが、それは自分の子供や生徒に自分の身長の倍以上ある壁を道具を使わずにジッと踏ん張って自力で乗り越えろと言ってるようなものなんです。
いい加減気づいてください「無理なものは無理と」
だからいつまで経っても日本人は想像力のない時代遅れな国だと他国にバカにされるんですよ。
今回の記事をきっかけに今後の生徒指導、子育てにまた1つ新しい見方ができたら幸いです。
では次章でお会いしましょう!!!