第11章~なにを持って常識を語るのか~
皆さんこんばんは、ZEROです。
今回は常識についてテーマを掲げました。
世の中には相手のミスを「常識」とバカの一つ覚えの如く連呼する人間がいます。
それは、学校だろうと会社だろうと関係ありませんが正直私はそんな人を見ると「なにを持って常識を語るのか」と、いつも思います。
私が思うに「常識」はその時代によって変化するものであり常識は全て個人の価値観であると思います。
例えば、あなたや私が「人を殺したい」と思うとします。
これは1つの価値観であり感情なので思う分には問題ありませんが、本当に殺してしまえば警察に捕まり禁固やら死刑やら罰則が言い渡されます。
「常識」ですよね?
しかし、かつての日本は日中戦争や太平洋戦争、戊辰戦争や西南戦争など度々戦争をしていたのは日本史ですでに学習済み、あるいはこれから習うと思います。
「戦争をする」ということは当然敵と戦うわけで、刀や銃、零戦などの戦闘機による爆撃、空母を狙う魚雷など多くの兵器を使用し多くの人間の命が奪い奪われた正に血を血で洗うわけです。
「それがどうした」と思うかもしれませんが、ここが重要なのです。
考えてみてください冒頭では人を殺したら罰せられるのが常識…と、ありますが
戦争中の日本はどうだったでしょうか?
そうです、当時の日本は「国のために敵国を殺し自分も命が燃え尽きるまで闘う」という風潮でした。
つまり、当時は「国のために死ぬ」これが一番名誉があり美しい死に方というのが常識であったのです。
皆さんも、この矛盾した二つの常識…どう感じますか?
「あれは時代が時代」と言われてしまえばそこまでですが、このように「常識」とはそもそも時代によって変わるものです。
それを前提として「学校の先生がいう常識」について考えましょう。
皆さんも学生時代、あるいは学校で先生に「これは社会の常識だ」と説教してる先生を見たことがあると思います。もちろん私の学校にもウジャウジャいます。
遅刻や無断欠席など的を射抜いた正当な理由で「常識」の名の元、指導される先生がいる反面、しょうもない的外れなケチをつけて有能ぶる無能者も多いのではないのでしょうか?
私は後者の教師をバカだと心底思います。
むしろ、こんなのでも教師なれるなら私でもなれるんじゃないかと何度思ったことか…苦笑
そもそも、公立学校の先生のほとんどは小学校から大学まで進学し社会にもろくに出ずに「先生」になるケースが多いです。
そのため学校以外の社会を知らない人間が一丁前に社会がどうこうと、まるで世の中の全てを知り尽くしてるかのように振舞うのはおかしいのです。
よくありませんか?役所の人でも借り上げてるのに学校はツーブロックが禁止、サラリーマンはクールビズで腕まくりしてるのに学校は外出時はクールビズ禁止、国会議員は国会中寝てるのに授業中は居眠り禁止…(あ、これはタブーかw)
挙げたらきりがないほど「なんで!?」と思うことは出てきます。
これらの疑問に正当な答えが言えればいいのですが、答えれない
場合は「この人は社会を知らないのか」と思っても構わないと思います。
こうしてみると、社会も知らない奴が子供に社会や常識を語る教育現場ってなんなんだろうと思いますね。
さて、そろそうろ時間(現在23:24)も時間なので今日はこの辺でおいとましますが、子供を指導する際にはぜひ今回取り上げた「常識」とは、「社会」とは、をよく考えてくださると幸いです。
私の公式LINEでは子供との接し方や指導の仕方で悩む方々の相談窓口としてQRコードを下記に添付しています。
気軽にお時間あるときにどうぞ!
では次章でお会いしましょう!